● 荒川正文 著/ 粉 事 記―粉体化学始末 も・く・じ・ろ・く
< 粉体化学のヒストリー>
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粉 事 記(こ・じ・き)―粉体化学始末
荒 川 正 文 著
この本は粉体≠ニいう言葉が、新しく日本語に加わった経緯、その意味にこだわり続けた男の物語である
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<企画・記録出版>
A5判・縦組・ソフトカバー・560ページ
価 格: 本体 2600円+税
発行所:「総合工学出版会」
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新刊図書/内容紹介
著者「ま え が き」より
●この本の外題“粉事記”は、粉体という言葉の意味を求めつづけていた昔話を、わが国最古の書物“古事記”にかけた駄洒落である。
言うまでもなく、“粉”も“粉体”も日本人が勝手につくり、使っている言葉である。言葉とは音声による人間同士の意思伝達手段であると定義される。大陸、とくに人類三大文明の一つに数えられる中国に隣接しながら、大規模な進攻を妨げるには十分であり、文明の輸入にはほとんど障害にならない距離を隔てた地理的条件の下で、縄文、弥生の時代から海外と接触があり、稲作を覚え、銅、鉄を用い、豊富な木材を利用する優れた技術をもつ。この過程で、隣接する文化先進国とは全く体系の異なる“日本語”を話す単一民族として発展 してきたこの国の文字は独自の進化を遂げた。
文字は言葉の図形化であり、一応の社会組織が形成されて口づたえによる情報の伝達が困難になると文字が誕生する。しかしこの小さな島国では、新しい情報の多くが、すでに文字のある隣国から直接伝わった。言語体系の全く異なる中国語と日本語の直接対応が不可能とわかったとき、すでに近隣諸国との間で同様の経験をつんでいた中国ではサンスクリットに対して個々の漢字の“音”をあてはめる方法、すなわち“邪馬台国、卑弥呼”的表現を用い、日本人もこれに馴染んだであろう。こうして仏教伝来の6世紀頃から、“許己呂 奈津可之”(こころ なつかし)など、万葉仮名とよばれる漢字本来の意味に関係なく、“音”だけをあらわす文字使いが始まる。この方法は以後150年ほどの間に、知識階級だけでなく一般民衆にまで広がり、4500もの叙情的、叙事的、物語的詩集、万葉集が編集されるに到る。
673年、皇位継承を巡る壬申の乱の後、天武帝はこれまで語部(かたりべ)によって口誦で伝えられた建国以来の天皇家の歴史を文字で記録することを記り、大安麻呂に命じて口誦を筆録し、712年元明帝に献じたといわれるのが古事記である。このとき安麻呂は万葉仮名をそのまゝ用いず、万葉仮名の漢字を音だけでなく意味を伝える訓字式を併用した。この音仮名漢字48文字の草書体または略字が平安時代初期までに平仮名に変る。また片仮名は仏典の音読の助けに用いた仮名から生れたという。これらが発展して訓字による事物名を仮名書きの散文でつなぐ日本文に到ったと云われている。こうして日本語は本質的に中国の文字漢字を日本文字仮名で連ねるという独自の表示法となった。
本題は“粉体化学始末記”である。しかし、この題に辿り着くには、少し長い物語をしなければならない。
私たちが日常的に使う“もの”という言葉がある。たとえば“どんなもの?”とたずねる。この“もの”には私たちが知覚できるあらゆる物質の形、状態、さらに機能など具体的なものか抽象的な物象まで包括している。この本は一応、化学書のつもりだから物質に限るとしてもこの世界に存在する物質とその性状は限りがない。近代科学の黎名期の哲学者デカルトは物質を“空間の中にある広がりを占め、人間の感覚でその存在を確認できるもの”と定義している。現代の日本語でも“存在を感知できる現象、またはその表現”とある。
この“もの”の本質を考えはじめたのは前500年頃のギリシャの哲学者たちであった。まずデモクリトスが“もの”はアトム(原子)とそれが動ける真空で成立つと考えた。この説は100年後、完全に否定される。理由はこの世に“何も存在しない空間、真空は存在しない”ということである。以後アリストテレス流の現象を思弁的に理解しようとする自然哲学が支配し、現象を超越して存在の根本原理、または存在そのものを思惟的、直観的に探究する自然哲学が支配する2000年が経過する。
13世紀から15世紀末にかけてヨーロッパ全土に波及したルネサンスは広く文化の領域に革新の気運をおこした。科学とか技術の分野も遅ればせながらその影響を受けたのである。コペルニクスの地動説も長い間の自然哲学に対する実証主義の挑戦であったに違いない。自然科学のルネサンスの象徴ガリレオ・ガリレイは経験的・実証的手法で、これまでの自然哲学の結果を否定し、近代科学の幕が明けた。こうして徐々に明らかにされてゆく“もの”の仕組みについては序章に述べた。
東の涯の国ジパングがヨーロッパで噂にのぼりはじめるのもルネサンスの頃である。黄金の国と呼ばれた日本が実際にスペイン、オランダなどと交易をはじめたのは1543年、ポルトガルの船が嵐で種子島に漂着したのがきっかけとなって航路が開け、長崎を基地とした貿易が始まる。日本人は始めて目にした鉄砲を10年後には大量に国産化し、数年後にはシャム、ルソンなどに日本人町ができる程、交易を拡大した。1613年には自製の帆船でイスパニア、ローマに日本人使節団を派遣するほどに海外の技術に馴れたのである。しかし、16世紀の終り、1600年、関ヶ原戦争で勝利し、政治の主権を握った徳川氏は海外との交易を絶つ鎖国を断行し、以後260年、ほとんど海外との交際を断った。徳川幕府が崩壊し、再び海外との交流が始まったとき、科学研究、技術のすべてにわたってその較差はほとんど絶望的であった。
かつての鉄砲のように、新しい道具の使い方は速やかに習得し、数十年の間に国中の鉄道網をほゞ完成し、輸入した異国の艦船を駆使して超大国との戦いに勝利することもできた。しかし、それらの“もの”に対する基礎的な知識、“舍密chemie”の学は取人技の見取りでは追従できなかったのである。
化学、江戸時代、最初のオランダ渡りの舍密の情報は1811年版のオランダの百科全書だったと聞く。内容は不明だが幾つかの術語を見ても全く意味不明であったろう。まとまったものは宇田川榕菴訳“舍密開宗”で内容は序章に述べたラボアジェの化学書(1837〜46)だと聞く。要するに化学の知識は無に等しい。
明治政府は化学の重要性を認識しており、研究・教育部門の設置に力を注いだ。すなわち、英国、ドイツから東京帝国大学の理科、工学、農学各大学教授に招聘して教育にあたらせ、日本の有望な人材を海外に留学させた。こうしてひたすら欧米の近代化学の吸収に追われた明治時代から大正に移るころ、序章に述べたX線によるラウエの固体の構造に関する研究が注目を集める。この時期、ドイツに留学中で、その発展を目のあたりにしたのが物理学者の東大教授寺田寅彦である。序章に述べた通り、この経験が後に“粉体”という日本語を生むことになったように思う。
大正(1912〜26)になり、第一次世界大戦(1914〜18)が勃発すると、たちまち化学力の不足が表面化した。深刻な医薬品不足に襲われたのである。慌てゝ大学の新設や研究機関の増設がおこなわれ、京都帝国大学化学研究所もこの時、医薬品の研究施設として京大理科大学に1915年設置された化学特別研究所でサルバルサンなど医薬品の研究、製造が開始されたのが、大正15年“化学に関する特殊事項の学理と応用を極める”ことを目的とする研究所に発展したものと知ったのはかなりあとのことである。さらに1917年、最初の国家的規模の研究所、“理化学研究所”が完成し、以後、太平洋戦争終結まで日本の化学研究・技術の発展に寄与した。寅彦は理研に移り、液体と固体の中間的状態としての“粉体”状態の存在を示唆するのである(序章P )。科学者であるとともに勝れた文章家であった寅彦はこの言葉を残して2年後(昭和10年)この世を去る。この頃までに、日本の化学界は十指に余る世界的な化学者を生み出すまでに成長していた。しかし、この国はいつの間にか開国当時の謙虚な心を失っていたようだった。続く10年の間に、ここまで積み上げてきた“もの”の仕組みを知る心を、獲得する欲望に向けはじめ、すべてを失うことになる。それまでの探究心が誤っていなかったことは、1949年、日本人初のノーベル賞という形で証明されたのである。
1950年(昭和25年)、京都帝国大学(当時)化学研究所に“粉体”という言葉を冠した最初の公的施設、“粉体化学研究部門”が誕生した。同じ研究所のコロイド化学研究部門の助教授水渡英二博士の教授昇任に伴うものである。この本の第U章に述べるような経緯で、当時コロイド化学部門で“炭酸カルシウムコロイドの生成条件”を検討していた私もこの新部門に移ることになった。
この時代、粉体という言葉は日本語には存在しなかった。少なくとも広辞苑をはじめとする辞書、事典の類には全く見当らなかった。普通には“こな”、“粉”、“粉末”であり、“粉ぐすり”や“粉石ケン”、また“小麦粉”、“きな粉”のように接頭辞、接尾辞として使われていたように思う。
私自身は粉体という言葉に別に違和感はなかった。というより粉というものを深く考えていなかったのである。炭酸カルシウムという有りふれた物質が、その生成条件によっていろいろの形と大きさの粒子になることの面白さに心を惹かれていたように思う。
翌1951年9月、講和条約が成立し、占領軍は日本から去った。1938年以後、入手困難だった海外学術雑誌や図書もボツボツ輸入されるようになった。この50年代は“物性論”の発展期だったのである。
私たちが戦争前に教えられた一般教養の科学には19世紀末までの“連続体の科学”、気体、液体、固体の物理であり化学であった。1912年、vonラウエによるX線回折を用いた研究によって“もの”が原子のどのような状態で組立てられているかという仕組みを明らかにする方法が確立された。続く20年代中期、量子力学が誕生し、原子の世界の法則が確立され、30年代には“もの”の特性を原子の構造という微視的な観点から理解しようとする分野が芽吹いていた。この時点で日本は再び実質的は鎖国の道を選び、結果的に最悪の悲惨な幕切れに終った。しかし、この10数年の経験を経て、物性論を本来の“もの”を理解するため手掛りにする必要があった。
この物性論に立脚した固体化学が急激な拡がりを見せた50年代の終り頃、“粉体”についての寺田寅彦の随筆のことを知った。
思えば、寅彦が随筆“自然界の縞模様”の中で粉体という状態を提案した昭和8年(1933)は後に“物性論”とよばれる“もの”の超微視的構造にもとづく研究分野がその萠芽をいろいろの分野で見せはじめた頃である。当時の日本最高の研究機関であった理研で、20年前にvonラウエがそのもとを開いたX線回折研究の展開をつぶさに見聞し、理解して帰国後その解説論文で学士院賞の栄誉に輝いた硯学は、その後の発展を注意深く見守っていたに違いない。こうして、従来の無限に連続した原子集団の概念にもとづく固体が不連続になった不完全部分が無数に存在する微粒子集団、粉末に思い到る。本質的に固体でありながら、その不完全部分が多数存在する微粒子集団が、それを取り巻く周囲の相(序章P )と織り成す相互作用は計り知れない。このように考えたとき、粉体という状態は従来の気、液、固と全く別の“もの”として考えた方がよいであろう。多分、そのような現象の巨視的な例として、身近な例として巨視的な現象を挙げたのではなかろうか。
漢字本来の意味からこの言葉を考えて見る。“粉”。呉音はプン。“もの”を幾つかに分割して別々にすることであり、“体”。呉音でタイ。かたちのある“もの”のありさま、様子。“もの”が動く様子をあらわす。中国では粉体はプンタイなのである。これについては私自身、忘れられない思い出がある。1978年、文化大革命直後の中国の大学の様子を知るための私的なグループに参加して幾つかの大学を訪問したことがある。武漢の大学で、一ヶ月ほど大学で粉体の講義をしてくれないかと頼まれたが、全くはじめての中国語が通訳される前にほゞ理解できたのである。それは繰返し出てきたプンタイという言葉が聞きとれたからである。一年半の後、この話は実現した。
それはさておき、粉体の意味を勝手に解釈した私はあらためて、その頃、化学工学的な立場で注目を集めていた粉体の挙動を、観念的な固体粒子ではなく、本来あるべき理想固体の姿の失われ、過剰の結合エネルギーの満ち溢れた粒子集団として観ることにしたのである。その活性な表面がその固体の単位体積に対して大きい、すなわち微細な固体などその影響は大きい筈であり、体積と表面の役割は影と日向のように反する。その効果を粉体の代表的な挙動、たとえば流動性について確めてゆく。これが私なりの“粉体化学”であると思ったのである。その記録が本書の主題“粉体化学始末記”である。
この長い前がきに更に蛇足を加えておく。“もの”という言葉についてである。多分、日本語が生れたときから使われた単語で、自己以外の森羅万象が含まれる。現実に形が見えない風や“けはい”、心情的な“もののけ”のたぐいまで数限りがない。しかし、人々の暮しが落着くにつれて、万象の一部にすぎない物質を意味することが多くなり、その本質を求めて“化学”という分野が生れ育つ。“もの”の本質が原子という小さい粒子であるという考えが世の中を制し、それを基礎にして“もの”の成立ちが考えられ確められて整理される。19世紀末である。しかし、その頃から原子そのものの構造が次第に明らかにされ、原子の役割に対するより小さな電子や素粒子の作用と、その運動法則まで確立されて“もの”の働きを説明できる物性論が出現した。
こうして粉体といわれる”もの”の機能も、次々と明かされ、それが人類の未来にとって本当に必要かどうかは別にして、最近の粉体技術は“もの”に対する大まかな知識の概要は心得ておいて欲しいと思うのである。
19世紀末の知識をもって粉体と付き合いはじめて60年の記録として、本書の序章には“物性論”出現直前までの“もの”の本質探究の歴史を概説した。参考になれば幸いである。
【内容項目/も く じ 】
も・く・じ・ろ・く
●序 章 もの≠フ仕組みを探る 1.文明の曙 2.経験―技術―そして科学 【道の駅】アグリコラとパラケルズス 3.自然観の目覚め―科学ルネサンス 【道の駅】火と熱と温度そしてフロギストン 4.感覚の定量化・温度 5. 気体―見つけた人・遊ぶ人 6.原子、そして分子 7.熱と仕事の物語―熱力学の誕生 【道の駅】 熱と運動のかかわり―ランフォート伯爵伝 8.物 の状態と熱 9.相そして界面 10.電気を見つけた 【道の駅】琥珀の道―北の海からアルプスを越えて― 11.場 ―エネルギーを伝える空間― ・電場と磁場 そして電子 12. 電子を見つけた 13.素粒子たちたちの出現と原子の構造 14.原子から分子、そして高分子 15.固体の かたち ―粉体の誕生 ●第T章 固体粒子を見る ●第U章 ある粉体粒子の生い立ち [補 遺]個体粒子の形状変化(個―個転移) ●第V章 ゴムと粉 3.1 ゴムの発見 ●第W章 粒子の測定―粒子の大きさを測る― 4.1 沈 降 法 ●第X章 “粉体化学” 一人旅の幕開け ●第Y章 粉たちのしがらみ=\―動きを妨げるもの 6.1 基礎となる力―分子間力 ●第Z章 粉体の流れ学=\ レオロジー まえがき 「転 機」 ●第[章 粉を固める―成形 ●第\章 生きもの≠フ粉体化学 |
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